パレスチナ調査のための英米委員会(モリソン・グレイディ委員会)報告1944-1946
パレスチナ調査のための英米委員会(モリソン・グレイディ委員会)報告1944-1946
Reports of the Anglo-American Committee of Inquiry Palestine, 1944-1946
第二次大戦が終結すると、米国はホロコーストを生き残ったユダヤ人難民を救出すべく、パレスチナへの移住を後押しします。これに対して、パレスチナを委任統治していた英国は、ユダヤ人の流入がアラブ人の反発を招き、パレスチナの不安定要因になることを恐れ、米国の政策を直ちには受け入れず、パレスチナにおけるユダヤ人とアラブ人の対立とヨーロッパにおけるユダヤ人難民の問題を解決するための組織の設立を提案、こうして1945年末に英米調査委員会が設立されました。
6人の英国人と6人の米国人で構成された委員会は最初のワシントンでの初会合の後、ヨーロッパに渡り、ユダヤ人難民の代表団へのヒアリングを行いました。エジプトのカイロでは設立間もないアラブ連盟の幹部へのヒアリングを実施、パレスチナでは委任統治を行なう英国当局、ユダヤ人、アラブ人と個別に協議を行いました。各地でのヒアリングを終えた委員会は1946年4月に報告書を提出、パレスチナへのユダヤ人の移住を奨励するとともに、人種や宗教に基く分断国家ではなく、ユダヤ人の国家でもアラブ人の国家でもない、統一国家の建設を勧告しました。
しかし、英国も米国も提言を実現しようとしないまま、報告書は棚上げされました。1年後の1947年には国連総会でパレスチナ分割決議が採択され、1948年にはイスラエルが建国、パレスチナは委員会の勧告に反する方向に進みました。
本コレクションは、英米調査委員会関係文書を提供するものです。委員会の様々な報告、書簡、委員会に提出された証拠類、各地で開催した公聴会の記録、報告書提出後に現実的な妥協点を探るべく英国と米国の両国で結成された内閣委員会の文書等が収録されています。
(マイクロ版タイトル:Reports of the Anglo-American Committee of Inquiry Palestine, 1944-1946)